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私設Blog「黒曜石の図書館」

本、言葉、文化にまつわるエトセトラ。

「人工知能は人間を超えるか」(7/17追記)

ロボット、人工知能には昔から思い入れがある。

 

火曜日、NHK クローズアップ現代+で「進化する人工知能  ついに芸術まで!?」の放映があることを知る。

進化する人工知能 ついに芸術まで!? - NHK クローズアップ現代+

お、っと思い録画だけする。

 

水曜日、欲しい物リストに以前から入れておいた「人工知能は人間を超えるか」が半額近いディスカウントをしているのを発見。

買い時!と1クリックで購入。

 (偶然だろうか?それとも2社はグル??)

 

本は先ほど読み始めたばかりだが、番組は視聴。

 

人工知能ディープラーニングによって、レンブラント風の絵や星新一風の小説を創作出来るようにまでなった。

しかしそれは芸術なのか?

精巧な模倣、贋作ではないのか。

芸術という分野において、人間を越える、という比較はそもそも出来ない。

 

人間の創作も同じように学習を経て行われるが、人間が完全でない故に、欠損が起こる。

しかしその欠損から生まれるものがオリジナリティ、そして芸術なのではないか。

 

商業的には、求められる物を創るという点では人工知能は人間を越えるだろう。

云々。

 

人工知能が芸術を作れるようになったら、人間の創造性が衰えるのでは、という視聴者からの質問に対する山田五郎さんの答えが秀逸。

「人間の創造性は衰えないと思います。
僕はむしろ聴く側の、例えば耳とか目が衰える、そっちの方が怖いです。
だって、一番受け入れやすいものばかり人工知能が作っていく訳ですよ。
そればっかり見たり聴いたりしていると、それ以外のものが分からなくなるかもしれない、その方が怖いような気がします。」

 

美しいものも、醜いものも経験しなければ芸術は生まれないとおっしゃった先生がいる。

受け手である私たちが、受け入れる深さをどれほど持つかが肝要。

また、寛容さは人間らしい経験、体験からしかやはり生み出せないと思う。

 

人工知能の進化を考える時、必ず「人間らしさ」「人間とは」という問題に行き当たるのが面白い。
だから好きなのかもしれない。

 

大清水さちTWIN SIGNAL」の中に出てくるロボットたちが早く実現しないものかと憧れた。

この漫画がきっかけでSEになったという友人もいる。

 

プレイステーションソフト「どこでもいっしょ」も楽しかった。

意外にも、最近のアプリにはそういったものが見当たらない。

アプリ版で再度リリースすれば良いのに。

 

ロボット史上、最も高性能なのは森博嗣作品の「ウォーカロン」ではないだろうか。

「彼女は一人で歩くのか?」から始まる新しいWシリーズは、エンタメ小説ながら、人間とはという問題の核心を突くものだ。

 

忘れてはいけない。

「イブの時間」も観なくては。

 

 

追記(7/17)

本を読み終えたので、読んで考えたことをざっくりと記しておく。

 

家電、ペッパー、Siri、さらにその先。

 

人工知能となって永遠に生きることを望む研究者がいるという。
一般論レベルでは理解できる。
しかし、身内、友人だったら?

 

私の祖父は2年前に亡くなった。(今日は三回忌の法要だった。)
祖父の思考パターンを再現した人工知能が開発出来たとして、
私はそれを祖父だと思えるだろうか。思えないだろうか。
では「祖父と会話をする」というのは何を持って言うのか。
祖父とは何をもって祖父なのか。
生きるとは。
死とは。

 

細胞からクローンを作れたとして、その中に完璧に思考パターンをトレース出来る人工知能を入れられたとして、それは誰になるのか。

難しい。

この個体と触れ合ったのだという履歴は必要条件な気がする。
折に触れてがっしりと手を握ってくれた祖父は、確かにもう、いないのだ。

 

著者によれば、人工知能はまだまだ長い道のりを歩かねばならないようだけれど、もう倫理的な様々なことは各々でもいい、考え始めても良い時期だ。
却って、人間、自分自身と向き合うことになるというのはやはり、面白い。

 

人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)

TWIN SIGNAL (1)

どこでもいっしょ PSP the Best

彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone? (講談社タイガ)

イヴの時間 劇場版